二人で少年漫画ばかり描いてきた

満足度:☆☆☆☆★ 「ドラえもんは児童まんがの最後のとりでだった」
 安孫子先生が少年漫画家藤子不二雄」の三十余年の歩みを描いている。藤本先生は各章の前書きだけ書いている(だから復刊できないのか)。
 本書は漫画研究の基礎文献だ。巷に叛乱する漫画論と一線を画している。なによりも当事者のことばに説得力がある。とくに大事な発言をあげておく。
 
(1)漫画はコマで絵を制約しているからこそ独自の面白さがうまれている(p. 56-57)。
(2)児童漫画や劇画は、手間がものすごくかかるから、時間がかかる(p. 137)。
(3)パーマン(昭和42年)、怪物くん(昭和43年)、ウメ星デンカ(昭和44年)はテレビ放映を前提とした作品だった。いわゆるテレビ漫画路線はオバQからはじまった(p. 241)。
(4)年少読者がドラえもんを支持したのは、わずか一握りのはっきりと児童を対象にした漫画だったからだ。この作品は当時、唯一の生活SFギャグ漫画だった。テレビ漫画全盛時代の学習誌の中で、唯一というべきオリジナル漫画だった(p. 264)。
(5)子供たちのドラえもんへの支持が、作者をアダルト路線から少年漫画(魔太郎、プロゴルファー猿、オヤジ坊太郎)へと回帰するきっかけとなった(p. 264)
 
ドラえもんは今や、商業主義の権化と化している。当時の状況とくらべると、なんとも皮肉な展開だ(作者は文庫版のあとがきでブームについて分析している)。