日本人の知的蓄積を多面的なテーマから述べた書き下ろしの第4巻(全12巻)。気軽に読めるが、鋭い指摘を含んでいる。
日本人の性意識の特徴は、筆者いわく、「仏教の性意識と、主として社会体制のバックボーンとなった儒教の性意識と、さらにあとで入ってきた西洋的な性についての発想とが、複雑に入り混じって、今日の日本人の性意識がつくられている」ことだという(70頁)。以下、重要な箇所を引用。
平安朝の人々は、よく「まみえる」という言葉を使った。
平安朝の人々は、よく「まみえる」という言葉を使ったが、これは男女の性の結合を意味していたと思う。(中略)現在は「まみえる」という言葉が日常語にないから、上品な言葉で「お会いする」ことを意味する言葉だと思っているが、もともとは、ずばり性の結合を意味する日常語であった。23頁
天狗は流星のことだった。
もともと、天狗とは、中国では流星のことをさしていた。『漢書』の中に、「天狗が出てきて人を食う」という記述があるが、これは流星の落下にする被害を語ったものである。28頁
清浄と不浄は表裏一体だった。
生きた血は生命そのものだから神聖である。しかし、血がいったん体内から出ると、汚れたものになる。31頁
平安時代の結婚は、古代以来の女性の地位の高さを反映して、重複婚だった。
平安時代、天皇以外の人は、摂政であろうと関白であろうと、自由に女性のもとにかよっていけた。/男は複数の女のもとに通っていけたし、女も複数の男から通われていた。相互に重複婚を行なっていたわけである。41頁
平安時代は、男女ともに自由な重複婚が行われ、かならずしもそれを継続することが絶対的な義務とは考えられていなかった。/たとえば、平安中期の女流歌人・和泉式部は、四人の男から通われ、どの男からもとくに独占されてもいないし、管理されてもいなかった。/女のもとに通ってくる時間は、男と女の自由な意思で決めるから、むしろ、男が女の都合によって通っていった。互いの性は、愛情を条件としながらも、非常に自由な状態だったようである。41頁
平安時代、婿取り婚をとおして、男女の力関係が男性有利に傾いていく。
女性の親が、通ってきた男の沓を包んで、懐へ入れてそのまま寝るのが「沓取の儀」である。/これらの一連の儀式には、男性がまた通ってきてくれるようにとの願いがこめられている。女性の親の、呪術にも似た涙ぐましい努力である。55頁
藤原道長の婚姻形式の変化から、当時の家族のあり方が女性中心から男性中心に変化した様子を確認できる。
実際に、平安時代には、古来の通い夫(づま)制が、はっきり「婿取婚」の形に移行していく傾向が、強くみられるようになる。/それが、やがて平安時代の末期のあたりから、しだいに「嫁入婚」に移行していくのである。/御堂関白と称された藤原道長(九六六~一〇二七年)は、最初の女のところへは通っていったが、二度目の婦人のときは家に引きとった。/ちょうど道長の時代のあたりが婿取婚と嫁入婚の境目で、実質的にも形式的にも、家族制が母系制からしだいに父系制に移りつつあったことがよくわかる。57-8頁
男の家長権は鎌倉初期に、はっきりと確立された。
北条政子の死んだ頃から、男の家長権が歴史の上ではっきり確立されたと考えてもいいのではないだろうか。(中略)貞永式目には、男性の家長権がきちんと決められている。これより、男は家と家の財産の責任者、管理者として、大きな権威をもつようになるのである。官位も男性だけがもらえるものとなり、被扶養者の女性は、特殊な場合以外、原則として官位がもらえなくなった。59頁
鎌倉時代の女性は結婚しても実家の姓を名乗っていた。
女性は結婚しても実家の姓を名乗っており、昔の通い夫(づま)的な意識がまだかすかに残っていたからである。60頁
「主人」が夫の意味になった背景
昔は女が男を管理するという形だったから、互いに相手が複数でもよかった。これが、男中心になると、女は夫一人のものとして、きびしくしばられてしまう。/封建的主従関係から出た「主人」という言葉が、夫の意味になる発想は、ここから生じた。今でも家長を意味する「亭主」という言葉が使われている。60頁
男性中心の家族は、家系を維持させやすいという長所がある。
女性は、受胎後は卵子の排出が止まるし、可産能率にも限界があり、量産できるとはかぎらない。もしその女性が不生女であったり、病気なので出産に対してドクター・ストップがかかったりすれば、それだけで家系は絶えてしまうことになる。/男は、相手さえいれば、いくらでも子を産ませることができる。これは男の生理なのである。封建社会では、男のこうした生理を利用して、一夫多妻を認め、家系断絶を防いだのである。61-2頁
日本人にとっての神の感覚
自然の秩序は、人為ではいかんともしがたい。人間をこえたものがそれを支配している。日本人はそこに神の存在を考えた。雨が降ることも、地震が起こることも、みな神の意志であると考えた。62-3頁
大和政権の統治の特徴
日本の天皇の統治は、外国の征服君主と違って、行政的な統治というよりも、むしろ地方の神々の統一とその祭祀権の集権を意味していた。76頁
『万葉集』三分の一は恋の歌
『万葉集』の歌は、その三分の一が恋の歌であるが、当時は一般的に、文章や文字で肉体的な性欲をあからさまに表現する風潮はなかったのであろう。87頁
一夫一婦制は、江戸時代以降のこと
江戸時代になると、一般の武士や女性は、一夫一婦制でしばられる。112頁
『源氏物語』は性よりも恋愛を題材にしていた
『源氏物語』は、決して性文学ではない。確かに男女の性関係を叙述してはいるが、それらは「相まみえる」とか「相会う」というような抽象的な表現で書かれていて、性行為についてのあからさまな描写はない。こうした表現のものは性文学とはいわない。『源氏物語』は、明らかに恋愛文学である。/日本人にとって恋愛と性とは、別の概念であった。114頁
万葉時代には、歌はすべて声を出して詠んだだけだった。
万葉時代には、歌はすべて声を出して詠んだだけであるから、残りにくい。しかし、平安時代になると、短冊に歌を書いたり、あるいは紙に書いて結文にして相手に送ったので、今も残っている。124頁
処女と乙女
もともと「処女」とは正しい女という意味である。性関係をもたない未経験の女のことは、日本では乙女(未通女)といった。171頁
その他
初潮以前の女というのは、日本では男でも女でもないとされたのである。174頁
万葉集時代以来、日本の家族制度が、母屋があって父屋がないように、家(ホーム)は母の住む家を中心とする母系制の血縁集団だったからである。176頁
血液を不潔なものと思いはじめるのは、江戸時代以降のことであるから、おそらくその以前には、[メンスのタブーにかんしては]平気だったのであろう。179頁
当時の日本人の主従関係からいえば、家臣のものはすべて主君のものなのである。たとえば、給与されている禄高にしても、主君のものなのである。/仕事をしているから禄高をもらうのに、大名はこれを勤労所得とは思わず、家の格式により受けた保証だと思っていた。そのため、その禄高の借り上げを行なった。借り上げるといえば聞こえはよいが、実際は減額、永久とり上げである。/要するに、家禄の一部を差し引いて、永久にとり上げるのである。家来の所有権は主君にあるという考え方だから、とり上げてもいっこうにかまわなかったのである。203頁
日本人は、「宮刑」とか「宦」という言葉は中国の文献で知っていたが、外科手術的な肉体の去勢は行わなかった。211頁
日本人が血は汚れていないと考える証拠に、生きている血を生血(いのち、生命)ということからもわかる。血(チ)は火(ヒ)、霊(ヒ)に関連し、霊妙神聖なものであった。もし、これを汚らわしいと考えるなら、生命(いのち)という言葉は出てこないはずである。213頁