帝都衛星軌道

帝都衛星軌道

帝都衛星軌道

満足度:☆☆★★★ 「正直言って、退屈でした」
1.帯の文句が本書最大の謎。
 本書を「正直言って、自信作です」という帯で煽る、筆者の自信はどこから湧いてくるのか。一度問い質してみたい。筆者の自己評価は、『魔神の遊戯』しかり、もはや迷走の域に達している。筆者は頭の中で幻の傑作をどんどん生みだしているのだろう。なんとも哀れである。島田荘司という存在じたいが小説の題材になりうるといっても過言ではない。
 
2.犯人の独善を美化するな
 なぜか被害者よりも、犯人は正しい行為をしたといわんばかりの自信たっぷり。被害者の人生を台無しにしておいて、それが正当化できると考えている。筆者もそうなのだろう。筆者が犯行を美しい物語に仕立て上げた。これが筆者の考える正義だとすれば、裁判所の正義を断罪するにしてはなんどもお粗末な正義だ。くりかえしいうが、犯人の行為は「自分だけの正義」であって、とうてい容認できない(被害者が感動の涙を流すなど言語道断)。
 筆者のナルシズムが犯人に投影されていて、おぞましい。筆者は美しい物語を書いたつもりだろうが、自分に酔いすぎて冷静に判断できないのだろう。
 
3.「光る鶴」の二番煎じ
 「光る鶴」の二番煎じを思わせるくらい、類似した要素が登場している(冤罪事件、人間関係、職業など)。残念だ。ここにも筆者のトリック偏重主義の弊害がしょうじている。新しいトリックに収まる設定を、過去の作品から引っ張り出したという感じ。
 さらに事情を会話で機械的に説明させるなど、(作家として)あきらかな手抜きがある。電車の乗降時間では絶対に語り尽くせない分量のセリフを言わせている! それも機械的に! 
 昔から大味な作品ばかり書いていたが、今回もひどい。相手じゃなくて、読者に向かってあからさまに説明されると、こちらも白ける。 
 
(その他)
 後半に、前半の会話を完全再現するのは二度手間であり、無様なやり方だ。
 島田については初期作品がよかった。もう一度、あの輝きを取り戻して欲しい、などと思っていた。しかし最近、大味な作品しか書けない近年の姿こそ、この作家の本性ではないかと思うようになった。だとすれば、晩節を汚すのは考えものだ。小松左京だって、筆を置いたではないか。
 筆者の方法論は物語のレベルを低くしている。それはアイディア(人間消失などの馬鹿馬鹿しいトリック)を先に考えて、そのつじつまを合わせようとするからだ。登場人物がこういう行動をとれば、成立するよね、みなさん、といった具合の。つまり美しい謎(詩美性というらしい)が物語を逆に台無しにしている。
 本書には「ジャングルの虫たち」という中編が挿入されている。しかし本編とは「予想どおり」関わりがなかった。「東京」という薄い関連しか認められない。話の内容にしても元ネタの存在があるのではないか。物語としては『白夜行』のほうがずっと上だ。
 冤罪や日本社会への筆者の怒りは分かる。だけどそれは小説という表現方法とかかわらせる必要はあるのだろうか。カレーを注文したのに、こっちが自信作だからと、ラーメンが出てくるようなものだ。それは騙しではないか。
 もし本当に日本社会に憤りを感じ、なんとかしたいと思っているのなら、なぜ日本で生活し、その場から発信しないのだろうか(しかも日本の読者の印税で生活しているわけだし)。太平洋の対岸という安全地帯から、いくら高尚なことを言われても、今ひとつピンと来ない。
 トンデモ本(『帝都東京・隠された地下網の秘密』)が奇想の元ネタになっていることを知り、ガッカリした。そりゃ、奇想になるわけだ。でもデタラメを下敷きにしてまで奇想をつくる意義はどこにあるのだろう(しかも説得力がないと考えたのか、仮説でなく事実として語っているし)。本作は(筆者にとっての)大発見の発表会だったようだ。虚しい・・・。