街場のメディア論

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

満足度:★☆☆☆☆ 「自分こそ真理を語りうる、という思い上がりに満ちている」 
 
 用語のあつかいが雑な本だ。たとえば「ミドルメディア」という現象を論じる場面で、メディアという用語を媒体でなく(その媒体が発信する)情報としてあつかっている。これでは説得力がない。
 
 大学での講義(メディアと知!)のテープ起こしなので、文章がくだけていて一見読みやすそうだが、論理が怪しい。口頭では言いくるめられる内容であっても、文章で読むと中身が薄いのがよくわかる。
 贈与にかんする内田の議論は、他人のメッセージを自分への贈り物だと感じる感受性をもてといっている。しかし内田による議論のうさんくささ、フェイク加減を感じ取る自分としては、内田の議論は自分の言葉を「ありがたがれ」という一方通行で、手前勝手な発言としか思えなかった。
 本書をつうじて著者には人間にたいする理解が浅い、という印象をもった。そのため出がらしのお茶のような、薄い内容になっている。
 
(追記)
 筆者はアカデミックな訓練をうけてきたにしては、物事にたいして断定的な発言をおこなっている。それがわかりやすさを生んでいるのだろう。しかし断定している内容はいただけない。議論の立て方が甘いため、導きだす見解のレベルが低いのだ。
 しかも筆者の議論は、たとえばメディア批判にもあるように、対象を否定することでしかない。筆者の批判がうむ爽快感は、炭酸飲料のようなもので、一過性ものでしかない。
 したがって筆者の活躍は社会にとって有害であるといえよう。
 
(5/8追記)
 筆者はいう。「情報を評価するときの最優先の基準は『その情報を得ることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか』」だ、と(40ページ)。筆者はいう。「ご存知の通り、僕はネット上に載せたものについては『コピーフリー』を宣言しています」と(37ページ)。

読了(2011/3/14開始。2011/4/17再開。)