アジア・ジレンマ

アジア・ジレンマ

アジア・ジレンマ

満足度:☆☆★★★ 「話題への切り口が浅い」
 本書で興味深いのは、筆者が権力にすり寄っていく、その過程をえがいた本として読めることだろう。内容については発見に値するものはとくになかった。話題への切り口が浅い、凡庸な文章がならんでいる。
 
プロローグ—ユーラシアへ向かって
第一章 アジア・ジレンマ(アジアがどんなジレンマを抱えているのか。その全体像がつかめない。1993年)
第二章 「アジア異質論」にどう応えるか(収穫はリー・クアンユーの文化宿命論を知ったことだ。1995年)
第三章 神は心を閉ざす—「呪術からの解放」と「呪術への解放」(描いているのは、大ざっぱな図式だけという、なんとも大ざっぱな文章だ。1992年)
第四章 「文化の衝突」と異文化理解(異文化理解は商品広告戦略に役立つ。この即物的な結論が筆者の限界を示している。1995年)
第五章 閉じる神・開く神(タイの精霊信仰と日本の宗教(御岳信仰・神道)を四つの時間論でむすびつける。1997年)
第六章 開発と終末論—ポスト・バブル日本の二つの極(現在の終末感は戦後日本の開発と発展への楽観論を後退させた。1995年)
エピローグ—いまこそ多国間文化外交を—日本とASEANの新しい創造的関係(橋本龍太郎首相(当時)が提唱したアセアン諸国と日本とのあいだでの、多国籍文化ミッションでの見聞。文化が大事、文化が重要と声高に叫ぶも、その内実がはっきりしない。自画自賛の、対外宣伝の色彩がつよい。1998年)
あとがきに代えて—新しい文化交流の時代へ(エピローグのその後の展開を追っている。今回の企画に長期的な視点が欠如していたことが明らかになった。やったという事実だけが残った。まさに税金の無駄である。1999年)

8/28読了