重力ピエロ

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

満足度:☆☆☆★★ 「鈍足ピエロ」
 本書の問いは「だれが弟の実の父なのか」だ。それにたいして「だれが落書き犯なのか」「だれが放火魔なのか」「暗号はなにを伝えているのか」といった副問がならぶ。後者の問いが表面的には際だつが、前者の問いが根っこにある。だが長編にするには、この主題は弱いのではないだろうか。なぜなら読者は、親であること、子であることについて独力で解決しているのだから。したがって主題は共感にほど遠い、他人にはどうでもよい問いなのだ。
 それにもかかわらず、本作は長い。だらだらと長い。それは主人公の回想が話の展開にブレーキをかけているからだ。その意味において本作は「重力」から開放されているとはいえないだろう(p. 110, 449)。だから鈍足ピエロだ。なにせクライマックスになっても、馬鹿の一つ覚えのように回想がはじまってしまうのだから。これには呆れた。この作者はバカではないかと。
 落書きの暗号も自己満足でいっぱいだ。視覚に訴えるという点で、独創的な思いつきかもしれない。しかしそれが物語の中で有効に働いたといえるだろうか。自分勝手な符合をつくってしまっては、相手に伝わらないのではないか。放火犯というリスクを負ってまでおこなう所行ではない(放火は重罪)。
 主人公をはじめとするエキセントリックな家族もいただけない。地球が、自分たち家族を中心にまわっているといわんばかりなのだ。そんな家族だから、主人公が結末で「俺ん家ルール」をもちだして、犯罪を肯定してしまうのだ。おまけに冗舌で、きどった会話も鼻につく(小説家が知恵の代わりに、劣化した知識を教えてどうするのか)。そんな家族のどこに共感しろというのか。
 内容紹介もひどい。解説もひどい。「溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに」とある。読む前からそんな押しつけはやめてほしい。北上次郎による解説の、「冒頭に、しびれた」という第一文もどうかしている。これでしびれていて、文芸評論家としての仕事がつとまるのか。私なら「ジョーダンバット」という筆者の造語に、作品の不吉な予兆を読みとるところだ。