捕物帳の系譜

捕物帳の系譜

捕物帳の系譜

満足度:☆☆☆★★ 「半七、右門、平次—三大捕物帳の簡便な案内書」
 捕物帳の案内として読むことができる。半七捕物帳、むっつり右門銭形平次をとりあげている。そして捕物帳という分野がいかに成立していったかを、追っている。三大捕物帳の案内として読むことができる。
 ただし分析が甘い。全体をつらぬく視点、個別の分析が弱い。論証の甘さも致命的だ。文が読みやすいだけに、凡庸な印象をうけた。全体をつらぬく視点として、それぞれの作家が(捕物帳の舞台である)江戸をどうとらえていたかを、筆者は論じている。岡本綺堂のばあい追憶の対象(ゆえに写実的)であり、佐々木味津蔵のばあいたんなる小説の舞台(すなわち主人公のための場所)として、胡堂のばあいは理想郷(法のユートピア)としている。したがってそれぞれの作家が捕物帳で描く江戸とは、江戸=過去の東京、江戸=同時代の東京、江戸=理想郷というぐあいに整理している(本文137)。
 探偵小説家による捕物帳をあつかっていないのも不満だ。城昌幸の「若さま」、正史の「人形佐吉」、十蘭の「顎十郎」「平賀源内」、「安吾捕物帖」を対象としていないのだ。
 縄田は捕物帳を論じたかったのだろうが、作品のイメージとかい離しては、本末転倒ではないか。「右門捕物帖」を読んでみて、そう感じる。実際に読んでみると、本書が喚起する「むっつり右門」のイメージがだいぶ違うのだ。論じる前に、作品の紹介をおこなうという手もあった。
 
【一、捕物帳はなぜ書かれたのか】綺堂と胡堂のアプローチのちがいはなにか(本文12)
 
【二、捕物帳ということば】捕物と捕者はどうちがうのか(本文31)
 
【三、「時計のない国」への招待】『半七捕物帳』の特徴はなにか。過去に起こり解決済みの事件であるということと、聞き書きという形式ということだ(本文37)。「わたし」は綺堂本人か(本文38)。綺堂は捕物帳という形をかりて江戸を語ったのか(本文46)
 
【四、ミステリーとしての『半七捕物帳』】『半七捕物帳』はミステリーとしてフェアかどうか、は問題にならないのではないか(本文64)。この作品の意義は岡っ引きをとおした、庶民の発見にあるのではないか。すなわち、この作品のミステリーとしての醍醐味は、庶民(その代表は半七)の知恵が、武家社会のトラブルを解決していくことにあるのではないか(本文65)。つまり半七による推理の特徴は合理主義に立脚するのでなく、市井の視点で問題にとりくむ点にあるのではないか(本文67)。『半七捕物帳』は、幕末から明治を生きた一人の市井人の記録といえないか(本文67)。
 
【五、半七老人から三浦老人へ】『三浦老人昔話』の刊行が、『半七捕物帳』には「江戸の面影を現代に伝えたい」という筆者のテーマがあるとの仮説をうらづけることができるのでないか(本文74)。わたし=綺堂ばかりでなく、三浦老人=綺堂という図式もなりたつのではないか(本文78)。
 
【六、『半七捕物帳』の終焉】綺堂の半七への同化なのか、それとも分割なのか(本文88)。全部が結論なのか(本文93)。半七はクリオの横顔なのか(本文95)。
 
【七、大衆作家以前】佐々木味津三は何を思い、何に悩み、「むっつり右門」を生み出したのか(本文99)。

【八、右門は何故むっつりなのか】
【九、『右門捕物帖』の世界】
【十、味津三、黙して逝く】
【十一、胡堂富士を見る】
【十二、平次誕生】
【十三、法の無可有郷】
【十四、幻想の江戸を支えるもの】
【あとがき】