若気の至り

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若気の至り

満足度:☆☆★★★ 「滋養に富むかも知れないが、添加物=形容句がおおく、不味い」
 ベトベトした形容句と受動態にまみれた文だらけだ。そんな現状分析にどれほどの価値がある(あった)のだろうか。筆者の主張は正論なのだろう。しかし読む側はまず第一に生活者である。評論家ではない。私にはどうも、生産性に欠ける話がおおくて困った。現状をスマートに解説してみせ、なにか生産的なことをおこなったと、かんちがいしている人は意外におおいのではないか。
 複雑な内容をわかりやすく伝えるという意味で、下手な文章だ。当時の社会状況を分析するにしても、もっとスマートに書けたのではないだろうか。
 
【目次】
「語られた「異質なもの」について—『ヤツら』は街にたむろする」
「語られた「異質なもの」について—見知らぬ場所でおこること」
「いまなぜ『なにもかも電話だらけ』なのか」
ランボーのいない資本主義」
「幼女連続殺人事件を読む」
「どこかの知らない誰かのしわざ」
「ギョーカイ幻想の構造」
「みんな〈ユーミン〉になってしまった」
「人はみなネットワークにハマる!」
「『ガン・ホー』のニッポン」
「釘とチューリップの夢」
大宅文庫フリーライター
「『キンタマ』たちの最後の楽園」(12/23読了)
「これじゃオヤジにもまれやしねえ」(12/24読了)
「『論争』はなぜなくなったのか」(同上, 1/5処分)
 
【メモ】
「語られた「異質なもの」について—見知らぬ場所でおこること」世界認識のあり方がフォークロアの、差別的な他人をつくっているのではないか(本文41)。どのように「あちらの世界」が成立し、彼らのイメージが出現したのか(本文47)。人身売買はなぜ恐怖を喚起するのか(本文50)。ここの世界の外にあそこの世界があるという世界認識は何をもたらすか(本文54)。不安定な状況をどうにかすべく、話を成型しているのではないか(本文57)
 
「幼女連続殺人事件を読む」まず事実を対象にする必要があるのではないか(本文100)。
 
「どこかの知らない誰かのしわざ」高本公夫による競馬予想の特色はなにか(本文114)。彼の予想がなぜこじつけなのか(本文119)。彼の予想がなぜ85年あたりから「こじつけ」になっていったのか(本文127)。それまでの彼の予想はどんなものだったか(本文125)。従来の競馬予想とはどんなものか(本文116)。
 
「ギョーカイ幻想の構造」ギョーカイ幻想の形成に、会社での労働がどのように関わっているのか(本文159, 171)。知識人たちが批判すればするほど負のイメージがふくれあがるばかりなのではないか(本文169)。サラリーマン向けの活字空間はなぜ特殊なのか。サラリーマンと武士とのアナロジーなど(本文170)。山本五十六ユダヤ人、邪馬台国等々、あらゆる角度から人生の教訓を引き出そうとする。この無節操な姿勢はどこから生まれたのか。
 
「人はみなネットワークにハマる!」ネットワークと宗教には親和性があるのではないか(本文225)。連想ゲームか、紙芝居を見ているような、悪文。アムウェイ、宗教、ネットワーク、リクルート社とつづく。こんな文章を読んでいると、脳が汚れる。