陽気な容疑者たち

満足度:★★★★★ 「主人公に優しさだけでなく、強さを感じる作品」
 強欲社長が実家のトーチカ(蔵)で死んだ。自然死なのか事件なのか。当日現場に居合わせた、計理事務員の「私」の視点で物語が進んでいく。

 冷静に考えれば、ご都合主義的な事件だ。しかしそれでよかったと感じた。なぜそう感じたのだろうか。それは登場人物たちの境遇にたいして、せめて創作世界のなかだけでも、そうあってほしいと共感したからだ。このことは探偵小説ではご都合主義じたいが問題でない、ことを示している。つまり読者とおなじ方向づけをおこなえば、ご都合主義的展開はかえって物語構成上の強力な原動力になることを示しているのだ。

 本書の特徴は、死者ばかりでなく主人公じしんが汚れ役にまわっていることだ。殺された死者を徹底的に悪く書くとする。そう描けば、登場人物たちの幸せが引き立つ。しかし一人の人間の死という事実は厳然としてあるのだ。そこに一点の曇りがある。一人の死の代価はだれかが払わなければならない。主人公である「私」は、事件関係者の幸福のなかで、事件の真相をせおい込む。私は本書を読み終わったとき、主人公の覚悟に胸を打たれた。主人公の態度に作為を感じなかったのは、読み手の側に自分自身そうありたいという、願いがあるからなのだ。
 本作は今でも天童作品のなかで一番好きだ。誰も傷つかない『大誘拐』より好きだ。残念なのは密室殺人の体裁をとったことだ(私は密室殺人が大嫌い)。密室殺人である必要を感じないが、それが時代の要請だったのだろうか。

105円(六版)