恥ずかしい和製英語

恥ずかしい和製英語

恥ずかしい和製英語

満足度:☆☆☆★★ 「他のタイトルにすればもっと受け入れられただろう」
 どうもタイトルが誤解をまねくようだ。多くの読者がタイトルをみて、自分が非難されていると感じているのだ。しかし「おわりに」をよむと、実はそれが「恥ずかしい」誤解であることがわかる。タイトルの真意は、筆者が滞日中に誤解して恥ずかしい思いをした「和製英語」を紹介します、という意味だからだ。そこにはなんら和製英語とそれを使用する人びとを非難する意図はない。あとがきに「私は恥ずかしい誤解もあとには楽しい思い出となることをこの本で示しました」とあることからも、それが確認できる(p215)。だから「私が恥ずかしい思いをした和製英語」とするのが正確であった。
 筆者は自分が和製英語に遭遇したときの失敗談をつうじて、日本人の読者に誤解をおそれず、前向きに話してほしいとのべている。しかしその目的にたいし手段が適切であったかは疑問だ。多くの読者は自分が非難されていると感じたからである。どうもこのあたり、本書のアプローチの有効性は疑問を感じる。
 「和製英語」について、筆者が恥ずかしい思いをしたこととは関係なく、私じしんは「和製英語」を極力なくしていったほうがよいと考える。なぜなら和製英語は節度のないまま、肥大化をつづけているように映るからだ。最近では「ワンセグ」という言葉が我がもの顔に横行している。
 これは言葉狩りではない。日本語を話す以上は、(誤解・混乱をうまないよう)ことばを正確に使いたいという向上心をもっていたいと思っているだけのことだ。そして向上心を忘れ、ただただ周りの雰囲気にながされる事態を批判するのである。
 自分の無知を本人が知っていることは恥ずかしいことではない。しかし自分の無知に無自覚でいることは恥ずかしい。和製英語にかんしては後者なのである。
 だからこそ、私は本書を英国人のたんなる失敗談以上の価値を見いだしたい。ただ、ほんらいなら星を4つつけたいところだが、本文中に登場する筆者のジョークが目にあまったので、星をひとつ減らした。