勝つための論文の書き方

勝つための論文の書き方 (文春新書)

勝つための論文の書き方 (文春新書)

※変な題名。誰に勝つというのか。優れた学者、ビジネスマン、政治家になれるというが、俗っぽすぎやしないか。
満足度:☆☆★★★ 「花はあっても実のない本」
筆者の論文作法には根本的な欠陥がある。それは筆者の〈問い〉偏重の姿勢だ。論文を書くには〈よい問い〉を立てることが大事だと、筆者はなんどもくり返している(p. 21)。
 しかし問いよりも主張・結論を重視する意見が多数派だ(e.g., 野口2002; 戸田山2002)。というのも論文をいざ書こうとしても、自分のイイタイコトがなんであるかすら判然としないことがおおいからだ。それは問いを立てれば簡単に出てくるというわけにはいかない。だからこそ、自分はいったい何を主張するのか、をまず明らかにすることが大事というわけだ。私もこの立場にたつ。
 〈メッセージ派〉にとって〈問い〉はとるに足らない。いったん主張・結論が決まれば、問いをたてることは簡単だからだ。主張を問いのかたちに言い直せばいいだけの話なのだ。
 思考経済上からいっても〈メッセージ派〉が優位だ。〈メッセージ派〉ははじめから〈実〉をもとめる。こちらのほうがあきらかに堅実な道だ。
 それにたいし〈クエスチョン派〉がいくら面白そうな問いをたてたとしても、それは上辺だけの危険がつきまとう。問いという〈花〉は咲いても、それは必ずしも〈実〉に結実するわけではない。〈クエスチョン派〉は素人の〈空中ブランコ〉のようなもので、いつ落ちるかわからない危険をおかしている。けして万人向けの方法ではない。
 最後に、筆者はなぜ本書を語り下ろしにしたのか。本書は論文指導なのだ。話し方の指導ではない。論文指導の本を、口語体という場違いな文体で書くのは致命的だ。「ですね」「でしょう」「ですます」などの丁寧語は、よんでいて気持ちがわるい。余計なくり返しも目につく。論理構成もユルユルだ。これらはいずれも論文指導で否定される書き方ではないのか。悪い模範を示して論文指導とはメチャクチャである。
 論述文の作成では場違い本だ。この方法で論文指導をうける学生は気の毒だ。最後まで自分のイイタイコトが見いだせずに右往左往する姿が目に浮かぶ。なお〈問い〉重視の本書は文学や文学的エッセイなら通用するかもしれない。

105円